「 特 別 講 演 」行事報告

東畑 郁生 (第44回地盤工学研究発表会実行委員会委員長、東京大学教授)

1. はじめに

特別講演会の報告は、講演者自身が執筆することになっている。しかし今回の講演者お二方の内、一人は政局の真只中で余裕が無く、もう一人は講演内容を記録に残さない主義を堅持しておられる。そこで代理として、この講演会を企画した筆者が開催報告も執筆することにした。もとより講演の内容をすべて理解したわけではないので、ある程度の誤りは御容赦を願わなければならない。  

 総説にも書いたことであるが、地域文化の紹介が多かった従来の講演会とは異なり、今回は地盤工学技術者を激励すること、バッシングに遭っている公共事業の中にも国家に必要なものが多々あることを一般市民に理解してもらうこと、これらを二大目標とした。そのためには、日頃は公共事業に厳しい意見を持つ市民の方にも耳を傾けてもらえるような講演を準備し、そもそも技術者ではない市民に講演会場まで足を運んでいただくために、社会的に知名度の高い講師を招く必要があった。しかも講演会の開催情報を一般市民に伝えることは、容易でなかった。結局、予算をはたいて京浜急行の主要十駅にポスターを一枚ずつ一週間だけ貼り、さらに個人的口コミを通じて参加を募って本番に臨んだ。地元の市役所には住民向けのイベント情報無料チャンネルもあるのだが、投稿締め切りが早すぎて、第一講演者が本決まりになった時には、既に間に合わなかった。これは衆議院の解散時期が五里霧中であったことを指している。いずれにせよ、たくさんの綱をヒヤヒヤ渡り続けた行事であった。

2. 田中眞紀子氏の講演『時代の曲がり角に立って』

 一年以上前に講演のお願いをした時、地盤工学を元気づけるようなお話をして下さい、また最近の日本人は根性や努力を軽んじてすぐあきらめるが、それではダメだというお話をして下さい、と申し上げた。大筋そのような内容の講演をしていただけたと思っているが、氏は地盤工学そのものを詳しくはご存知ではないため、(科学)技術一般の視点から技術者を励ます内容であった。

 田中氏を講師に招いたことについては、地盤工学会の会員の間でも様々な反応があったようである。氏は政治家であるから、国民の間からは様々な評価を受けるのが当然である。それが民主主義国家として自然な姿でもある。しかし立場や評価を異にする人物の話を聞いてはならない、ということは無いはずである。むしろ異なる意見を聞いて自らの信念を磨き改善することが、民主主義社会の進歩に役立つはずである。仮に地盤工学会が同氏を全否定するとすれば、公共事業をバッシング、全否定する人々に対し、地盤工学会は何も意見を言えなくなってしまう。いずれにせよ、田中氏のお陰で講演会場が満員になり、主催者としてありがたかった。

 さて、田中氏の講演内容は、大略、次のようであった。なおカッコ内は筆者のコメントである。

・これからの時代はグローバライゼーションとスピードの時代である。(中村氏の講演とも関連するが、地盤工学の伝統的な職能だけを磨いていては、時代からとり残される恐れがある。)

・日本の国土はきびしい自然災害の多い場である。これに財政のきびしさが重なって来る。

・世の中の縦割りの制約を乗り越えて、よその分野と連携することが大事である。

・科学技術庁長官の任に在った時(阪神大震災の直後)、地震予知研究にネガティブな評価を下した。予算に限りがある中では、予知研究が最重要とは思わなかった。それとは逆に、経済発展に結びつくような新材料の開発研究が重要と考えた。たとえば微小重力環境における材料生産や形状記憶合金の開発である。また放射光施設スプリングエイトを利用して防水塗膜の生産技術を開発することにも興味を持っている。

・科学と技術の発展の道筋をつけるのが、政治の役目である。

・高性能気象レーダーによって局所的な豪雨を予知する技術も素晴らしい。

・我が国には水が豊富にあるが、世界には裕福であるが水に恵まれないアラブ首長国連邦のような地域もある。この水をきちんと管理するのが農業の分野であり、保水技術の発展が重視されている。

・新潟には三国川(さぐりがわ)ダムというものがあり、それを通じてダムや橋、岩盤の関心も抱くようになった。

・セラミックフィルターには海水の淡水化や浄化の機能があるが、その開発過程では、産官の縦割りの壁を越えた提携協力の積み重ねがあった。

・(田中氏の父君は)全国各地へ行くたびに、その地方の気候や国土、地形などを観察、研究していた。たとえば西海橋の技術が凄いなどの話を聞かされた記憶がある。欧州視察の後でも、オランダの大堤防の上には大きな高速道路が通じている、フランスの下水は巨大である、ドイツのアウトバーンが素晴らしいなど、色々な話を聞いた。

・そのような見聞が日本の将来に関する夢に育ち、技術的あるいは経済的な裏付け造りに広がっていったのであろう。

このように箇条書きにしてしまうと、田中氏の講演は脈絡の無いものであったかのように見えるかもしれない。しかしそうではなく、地盤工学の知識に乏しい同氏が技術に関する話題を次々と繰り出して、世界は技術を必要としている、だからアンタ達は頑張らないとだめなのよ、と激励して下さっていたのだ、と感じている。

3. 中村英夫先生の講演『成熟社会のインフラストラクチャー整備』

この講演も、筆者が次のようにしてまとめてみた。カッコ内は筆者のコメントである。

・我が国では過去50年以上、様々なインフラ整備が続けられて来た。そして現在では、もはや新たなインフラ建設はいらない、と考えられることもある。既存インフラの維持管理をしっかりやって、永く大事に使うことは重要だが、仕事としては痛快さに乏しい。

・インフラ建設のプロジェクトをいくつかのパターンに分類して歴史的な展開を調べてみると、異なるものが見えてくる。

・第一のパターンは、国民生活の基本にとって本質的に必要なプロジェクトである。たとえば治水、上下水道、道路がそれに該当する。このパターンは社会的な必要性が明確であるが、現下の成熟社会では飽和に近い。

・第二は、地域経済の振興を図る戦略インフラの建設である。例えば、鹿島の掘込み港建設がある。ここには土地と水があり、大市場も近く、外国から鉄鉱石を船で大量に搬入して製品化、出荷する、という、日本独自の新しい産業立地が形成された。また、水害に悩まされる北上川上流で治水を含む総合開発を実施し、産業を創出した例もある。この種のプロジェクトも、今後は少ないであろう。

・第三に、効率や環境を改善するインフラ建設がある。高速道路、新幹線、コンテナ港は輸送の効率を大幅に向上させたし、下水道や廃棄物処分場は、地域の環境を改善した。この種のプロジェクトには痛快なものが多かったが、今後は少なくなるであろう。

・第四は、社会の高品質化のためのインフラ整備である。生活や環境の質を高めるため、電線の地中化、公園の設置と改良、Scenic Highwayなどが提唱されている。東京四谷の外堀(美化)プロジェクトでは、道路を地下に入れて地表を公園化するとともに、堀の持つ洪水時の遊水池機能を地下へ納めることが、考えられている。東京の日本橋プロジェクトでは、首都高速道路を地下へ入れようとしている。現地では地下鉄のトンネルが輻輳しているので、その間をすり抜けるという難しい工事が必要だが、市街地の景観を回復、改善することが目的である。しかし、この種のプロジェクトは未だ構想段階にとどまっていて実現には至っていない。まだ時機をえていないのであろう。それに対して、似て非なる準備不足の思いつきプロジェクトに予算がついている例があり、無駄である。国の品位を高めるためには何が必要なのか時間をかけて皆で考えなければならない。ここで問題になるのは、景観改善が典型だが、プロジェクトの良否の評価が主観に左右されることが多く、様々な価値観の共存する社会の中で、どうやって合意を形成するか、という難しい問題があることである。高品質化のために必要だがそれに人々が気がついていない、そんなプロジェクトがいくつも世間には埋もれているはずである。

・第五は、既存のインフラの維持、保守、補修のプロジェクトである。耐震補強もそれに該当する。これは成熟社会にあってきわめて重要な事項ではあるが、いわゆる魅力に乏しく、次の世代を誘引できない、という一面もある。いずれにせよ、この種のプロジェクトを円滑に進めるためには、設計時の資料(図書)を系統的に保存管理することが重要である。たとえば東京ガスは管路網のデータベースを持ち、メンテナンスを支援している。近年は設計図書に加えて、その後の建設保守履歴のデータベースが重視されるようになっている。

・最後の六番目として、新技術の登場にともなって創出されるインフラ建設がある。たとえば携帯電話の爆発的普及にともないアンテナが全国で無数に建設された。また産業の地域分散の観点から、森林を利用して木材加工産業を興す、小規模水力発電所を設置する、首都機能を分散して社会の防災力を高める、などの動きがある。

・以上をまとめると、インフラ正義事業は社会の成熟につれて変容するものであり、時代時代の社会のニーズに合った事業を創出することが大事、ということになる。地盤工学の方々もこのことを念頭に置いて、持てる能力をどのようにして次の時代に生かすか、社会全体のあり様、という視点から考え、あらたなプロジェクトの提案をしていただきたい。

        

  写真-1 講演する田中眞紀子氏        写真-2 講演する中村英夫先生

        

  写真-3 会場風景                写真-4 中村英夫先生の講演の様子